牧 会 通 信
2014.10.12
         No.457

    文責 牧師 長谷川 潤

〜牧師室から〜

『神の国を目指してB』

 再臨の主の御名を崇めます。
 日本語の「天国」は、漢語からの借用であることが判明しました。それならば、外国語の聖書が漢訳されたわけですが、なぜ、漢語で「天国」と言うのでしょうか?この問いを持ちながら、今度は、菰野町立図書館の漢字辞典類の書棚を眺めていました。そうしたら、『大漢和辞典』(大修館書店)という何巻本もの大辞典が目に留まり、「天国」の項目を繙いたら、次のような説明が載っていました。「山名 四川省崇慶県。青城山の支阜」。もしかしたら、聖書の天国のイメージが、この山のイメージと重なって、「天国」という訳語にしたのかなと思ったりしました。もう一つ、頭によぎったのは、1861年にブリッジマンとカルバートソンによって聖書が漢訳されたわけですが、その10年前に洪秀全らによって「太平天国運動」なる反乱が起こされました。それならば、既に人々には「天国」という表現が定着していたのではないかということでした。
 普段の日のリサーチでしたから、既に図書館の閉館時刻も迫っていましたので、残念ながらリサーチを断念して帰宅しました。帰宅しても、やはり、いろいろ気になって、そんな場合に大変役立つのがインターネットによる検索です。私のような関心を持っている方は、他にも絶対いらっしゃるはず。「天国」、「漢訳聖書」の二語を入力して検索すると、やっぱり、大ヒット!孫遜(スゥン シュン)氏(西安外国語大学講師)の以下の論文が示されました。『近代日本における漢訳聖書の受容−「天国」という言葉の受け入れを巡って−』(京都府立大学,2004年度受理論文)。私の関心そのものです。これを読むと、一気に、私の問いは解決へと導かれました。以下は、孫遜(スゥン シュン)氏から教えられたことです。
 中国で聖書の漢訳作業が始まったのは7世紀頃のこと。中国にキリスト教の亜流であるネストリウス派の教えが伝わったことによります。その一派は「景教」と呼ばれています。その後、1582年、西洋人宣教師たちが中国の地で布教を始めました。そして、イエズス会のイタリア人宣教師マテオ・リッチ(1552〜1610)が、聖書に関する解釈の本(『畸人十篇』)を出版し、その中で、はじめて「天国」という表現を使いました。これが、現時点で、「天国」という表現が出て来るキリスト教最古の中国の文献だそうです。この時、はじめて「天国」という表現が造られたのです。そして、その際、中国人の世界観の基本にある「天」の思想が重んじられました。その「天」の思想では、「天」・「帝」は絶対的な人格神であり、諸神や人間を臣下として、一つの王朝を形成しながら下民を支配するとされました。
 以上のように、中国へのキリスト教は、この「天」の思想を利用して人々の生活へと翻訳されたのです。さらに次のことも教えられました。仏典が漢語に翻訳された時、極楽浄土を意味する「天堂」という表現が造られました。いわゆる、仏教の「地獄」と対比される世界です。漢語では「天堂」と「地獄」です。「天堂」ですから、具体的には天上の宮殿を意味しました。この「天堂」も、聖書の翻訳の際に借用されたと言われています。ですから、漢語では「天国」「天堂」という二つの表現が、人々の魂に定着して行ったのです。    Soli Deo Gloria!!