員弁地域(いなべちいき)
 
 イナベサッカーリーグの地元、旧員弁郡(員弁町、北勢町、藤原町、大安町、東員町)の5町は、東員町以外の4町(員弁町、北勢町、藤原町、大安町)が合併していなべ市となり、東員町だけがそのまま員弁郡に一つだけの町として残りました(そのいきさつはいろいろあったようですが)、とにかくここでは、これらいなべ市と東員町をあわせて員弁あるいは員弁地域と呼ばさせていただきます。

 員弁は細長い三重県の最北端に位置しており、岐阜県と滋賀県の県境があり愛知県とも一番近いところだと10qと離れていません。
 地形は2つの山脈に挟まれた平野です、西に1,000m級前後の山が連なる鈴鹿山脈、北東に多度山(養老山脈)約400mがあります、中央部に員弁川が流れています。
 太平洋側の平野部にしては雪が多い方で、それはこの地方の北方にある福井県と滋賀県に大きな山が無く、中国側からの寒気がそのまま弱められずにくるからだそうです。

 産業的にはどうでしょう、あまり調べていないんですが、トヨタ系の大きな工場が2つと、太平洋セメントが山で掘削生産、ぐらいなのかな?それ以外はどこの田舎もいっしょで、田園風景が広がっています。 あとゴルフ場がけっこう多いかな。
 
鈴鹿の山々
 
 鈴鹿山脈、 員弁のシンボルと言ってもいいです、員弁のどの場所からでもよく見え、毎日見てても飽きません、やはり四季や時間や天候によっていろんな姿を見せてくれます。

 代表的な山は藤原岳、特徴は山の表面半分ぐらいが削られて土が剥きだしになっているところ、セメントの原料、石灰掘削の為です。こちらへ越してきた子どもの時からハゲていたのでそれほど違和感を持っていません。
 
 自分がこの藤原岳に登ったことがあるのは、たった一回だけ、小学校の遠足の時で、正直登るのは結構つらかったのに頂上には何も無かったような覚えがあります。でも登山を趣味にしている人から話を聞くと高山植物の名所でなかなか良いそうです
 

 
鈴鹿の山々の峠
 
 
鈴鹿山脈の頂き沿いが県境になっていて、向こう西側は滋賀県です。員弁から滋賀県へ抜ける道には車なら石榑峠(いしぐれとうげ)と鞍掛峠(くらかけとうげ)、徒歩なら治田峠(はったとうげ)が主にあります。
 子どもの頃はこの山の向こうにどんな世界があるかを想像しようとも思いませんでした。これらの峠がやはり高く越えるのが厳しく、となりの滋賀県は近くても生活圏としては縁が少々薄い所だからです。 大人になり、車の運転が好きになったり、少々山好きになったりしてから、峠をよく利用するようになりました。
 
 
 
石榑峠
 石榑峠(いしぐれとうげ)大安町、石榑南から出発し、宇賀渓をすぎ上がって、滋賀県永源寺町へ降りていきます。国道421号線です。

 これから紹介する他の2つの峠もそうなんですが、けっこう峠は古くからの歴史があり京都へ行き来するのによく使われていたそうです。



 
 かなり道が狭くなっているところが多く、すれ違いが容易ではないのですが、交通量が少ないので、それほど心配は要りません。

 近々この道を整備して、滋賀県とのつながりを深めようとする計画があるそうですが実現するでしょうか?
 冬季は通行止めです。


 
 最上部に近づくと、こんな関所みたいなのが2つ現れます、滋賀県側にはありません。


 
上から見たとこ。。

 
 2つ目の関所は最上部県境にあります。
 誰もがもっと下の所から置いといてよ、と思ったことでしょう。
 左上を行くとNTTドコモの中継塔があります。


 ここを下ったら永源寺湖と永源寺が迎えてくれます。


  
鞍掛峠
 
 鞍掛峠(くらかけとうげ)国道306号線、藤原町山口から上がって滋賀県多賀町へ降りていきます。
 道は石榑峠に比べるとかなり整備されていて幅が広いです。



 
  何回かここで鹿を見たことがあります。
 

 
 
 
 紅葉の名所で時期になると車と人が結構集まります。

 冬季になるとこちらも通行止め完全閉鎖となります。
 


 
 最上部に鞍掛トンネルがあります。

 その入り口の脇には、鞍掛峠と名前が付けられた由来、(858年天安2年、文武天皇の第一皇子、惟喬親王が都落ちした時、ここで鞍はずして休んだことから)が書かれた看板があります。


 
 峠を降りきり、多賀町過ぎてそのまま306号線をちょっといくと、彦根につきます。
 けっこう員弁から近いとこにあるんですけど。やはり山の裏側にあるせいか見逃しやすいです。自分もつい最近初めて行ってみて、こんないい観光名所、行き忘れていたことにおどろきます。
 そこには有名な彦根城があり、見事な庭園や保存度が高くどこか品のある石垣がなかなかです。
 



 
 彦根城近くにある龍潭寺(リョウタンジ)の庭。
 彦根城も含めてここいらはかなり京風の文化を感じます、ちょっと雅なところです。

 
治田峠
 
 
治田峠(はったとうげ)、北勢町の新町から上がる徒歩のルートで途中まで青川峡を渡ったり脇を通って行き、最上部から滋賀県側永源寺町の茨川へ降りていきます。
 降りても公共交通機関がないので、また歩いて三重県に戻るしかありません。
 
自分も峠の最上部までは登ったことがあるんですが、滋賀県側へ下ったことはありません。
 
 



写真のところからちょっと行くと青川峡キャンピング場があり、そっからまたちょっと行ったところから歩きです。
 この治田峠は員弁の歴史で非常に大きな経済的影響をあたえてきたところです。 北勢町に住んでいる人はよくご存知だと思うんですけど、ここには江戸時代から明治時代にかけて銀や銅の鉱山がありました。
 かなり山奥に入ったところなのに、鉱山関係施設の名残の石垣が今でもところどころに残っています。

 

峠に沿って流れる青川、うっすらと青みがかって見える時もある。
登りはじめて序盤にでてくる 広河原、山に入ったとしてはかなり広い川原です。

 自分は登山はやらないんだけど、こういった渓谷をたまにトレッキング?します。
 ここはかなり狭い川や道が続き進みにくいのですが、小さな滝や沢が多くあり結構楽しめます。


 ここの魅力は人気がないことですね、ふもとのキャンプ場は賑わっているんですけど、このルート何回か川を橋なしで渡らなければならない為だと思います、自分は半分沢登りを楽しみに行きます(もちろん夏場)。
 あとはやっぱりちょっと危険ですね、毎年土砂崩れで地形が変わってます。


 小滝?沢?微妙な大きさのものが数多くあります。

 治田峠名物、ヒルです。一番悪い時期にここに入るとすさまじい数に引っ付かれ、そして血を吸われていきます。
 血を吸う時に蚊と同様、血液を固まらせない何か物質を出すらしく、その効果絶大で数時間血が止まりません。 この峠が不人気である理由の一つです。


 
 この日の目的地にしていた滝なんですが水は枯れていました。結構高さある滝なんですけど。

 
上の滝壷付近になぜかいつもよく見かけるカエル、10cmくらいで平べったい、種類はよく分りません。

 
 結構山の奥の方にも昔の石垣が残っている鉱山関係の施設跡。今はふもとに移設されましたが、鉱夫達の為の寺や他の生活に必要な施設が多くあったそうです。
 今では考えられないほどの人がここを行き来していたと、いろんな文献に書いてあります。


 
 こちらも鉱山があったことの名残、昔の鉱山関係者が手作業で掘ったトンネルです。

 
 鹿?犬?それとも?川辺にありました。

 
峠の入り口前には最近できた青川峡キャンピングパークがあり結構な賑わいをみせています。(写真右下にロッジ)
  


この写真だけ上らと季節が違います。
(12月初旬撮影)
 
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員弁の紹介
その1 鈴鹿の山