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日月神示 |
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日月神示とは、画家であった岡本天明氏(1897〜1963)が、昭和19年から約16年間にわたり、自動書記で書いたという神(直流?)からのお告げ。 全部で三十二巻あり、ひふみ神示とも呼ばれています。 この神示は、天理、金光、黒住、大本の後を継ぐ形で、神の百年にもわたる啓示の最後の仕上げにあたります。 (以下、「日月神示」からの引用) 真の信仰に入ると宗教にとらわれなくなるぞ。 真の信仰に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。 今に岩戸開いてあきらかになったら宗教いらんぞ、政治いらんぞ。 今までの日本の宗教は日本だけの宗教、このたびは世界のもとの三千世界の大道ぞ、教えでないぞ。 宗教によるもののみ天国に行くと考えるもの、皆悪のけんぞくばかり、迷うなよ、迷うのは欲からぢゃ。 高い心境へ入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。 なすこと、心に浮かぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。 右の頬を打たれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ。 それは無抵抗ではないぞ。 打たれるようなものを心の中に持っているから打たれるのぞ。 まことに居れば相手が手を振り上げて打つことは出来ん。 よく聞き分けて下されよ。 笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが。 これが無抵抗ぞ、世界一家天下泰平ぢゃ。 左の頬を出すおろかさをやめて下されよ。 まことの善は悪に似ているぞ。 まことの悪は善に似ているぞ。 よく見分けなならんぞ。 悪の大将は光り輝いているのざぞ。 神の印つけた悪くるぞ。 悪の顔した神あるぞ。 信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。 奇跡的に治るとみるのは間違い、迷信ぞ。 時間もいり手間もいる。物も金もいる。大き努力いるのであるぞ。取り違い多いのう。 この神のもとへ来て信心さえしていたらよいことある様に思うているが、大間違いざぞ。 この方のもとへ参りて先ず借金取りに借金払いして下されよ。 苦しいこと出来てくるのが御神得ぞ。 この方のもとへ来て悪くなったと言う人民遠慮いらん。帰りてくれよ。 そんな軽い信心は信心ではないぞ。 結構な苦しみが判らん臣民一人も要らんのぞ。しっかりと褌締めてついて御座れよ。 この方悪神とも見えると申してあろうがな。 牛の食べ物食べると牛のようになるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。 臣民の食べ物は定まっているのざぞ。 いよいよとなりて何でも食べねばならぬようになりたら、虎は虎となるぞ。 獣と神とが分かれると申してあろがな。 縁ある臣民には知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界中に知らせてやれよ。 四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。 草木から動物生まれると申してあろう。 臣民の食べ物は五穀野菜の類いであるぞ。 獣の食い物食う時には、一度神に献げてからにせよ。 神から頂けよ、そうすれば神の食べ物となって何食べても大丈夫になるのぞ。 神に献げきらぬと獣になるぞ。 苦労致さねば誠判らんなり。 人民というものは苦に弱いから、中々におかげのやり様ないぞよ。 欲だすから、心くもるから、我よしになるから中々に改心出来んなり、難しいぞよ、欲さっぱり捨てて下されよ、欲でると判らなくなるぞ。 神示がハラに入って血になると、何が起こって来ても結構であるが、始めのうちは、ちょっとのことで迷いの雲が出て悪の虜となって苦しむぞ、悪はないのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ。 悪の虜となって苦しむが見えているから、苦も結構なれど要らん苦は要らんぞ。神示よく読んで苦を楽とせよ。 金好きなら金を拝んでもよいのじゃ。 区別と順序さえ心得ておれば、何様を拝んでもよいのぞ。 清くて富むのがまことぢゃ。 地も富まねばならんのぢゃと申してあろうが。 これから先は、金儲けばかりも出来ん。 今までのような、神信心ばかりも出来ん。 神の道を進むものは、嫌でも金がたまるのじゃ。 金がたまらねば深く省みよ。道に外れて御座るぞ。 人は罪の子でない、喜びの子ぞ。 今までの心スッキリと捨てて、生まれ赤子となりて下されと申してあろが。 早よ改心せねば間に合わん。残念が出来るぞ。 生まれ赤子の心で神示読めよ。神示頂けよ。 神の規則は恐いぞ、隠しだては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ。 神の国に借金ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借金済ましが始まっているのぞ。 済ましたら気楽な世となるのぞ、世界の大晦日ぞ、晦日は闇ときまっているであろうがな。 借金返す時つらいなれど、返した後の晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借金ざから、素直に苦しみこらえて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやりかたに返してくれよ。 神世のひみつとして知らしてあるが、いよいよとなりたら地震、雷ばかりではないぞ。 臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ。 四つん這いになりて着るものもなく、獣となりて、這いまわる人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ。 獣は獣の性来いよいよだすのぞ。 火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。 一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ。 それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ。 どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな。 高い所から水流れるように時に従いて居れよ。 いざという時には神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。 人間の戦や獣のケンカ位では何も出来んぞ。 くどう気つけておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。 人民と申すものは生命が短いから、気が短いから、仕組み少しでも遅れると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立て替えであるから、少しくらいの遅し早しはあるぞ。 それも皆人民1人でも多く助けたい神の心からぢゃ。 遅れても文句申すが早くなってもまた文句を申すぞ。 わからんと申すものは恐ろしいものであるぞ。 富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞと言う心、我れ善しぞ。 何処に居ても救う者は救うと申してあろうが。 悪を待つキは悪魔のキざぞ。 この先どうしたらよいかということは、世界中、金のわらじで捜しても、ここより他わからんのざから、改心して訪ねて御座れ、手取りて善き方にまわしてやるぞ。 この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあれなれど、それは大難を小難にし、またメグリが一時に出て来て、その借金済ましをさせられているのぢゃ。 借りた物は返さねばならん道理ぢゃ。 メグリと申すのは、自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。 メグリは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。 自分の中にあるから近寄ってくるのであるぞ。 嫌なこと起こってくるのは、嫌なことが自分の中にあるからぢゃ。 長い目で見て良くしようとするのが神の心ぞ。 目の前のおかげではなく永遠の立場から良くなるおかげがマコトのおかげ。 天国を動かす力は地獄であり、光明を動かす力は暗黒である。 地獄は天国あるが故であり、暗は光明あるが故である。 因が果にうつり、呼が吸となりゆく道理において歓喜は更に歓喜を生ず。 その一方が反抗すればするだけ他方が活動し。また強力に制しようとする。 この道は因縁なくては判らん難しい道であれど、この道貫かねば世界は一平にならんのぢゃ。 縁ある人は勇んで行けるのぢゃ。 そなたが神つかめば、神はそなたを抱くぞ。 神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるぞ。 そなたが有限から無限になるぞ。 神人となるのぢゃ。永遠の自分になるのであるぞ。 他のために行ぜよ。神は無理申さん。 始めは子のためでもよい。親のためでもよい。自分以外の者のために、先ず行ぜよ。奉仕せよ。 うれしうれしの光さしそめるぞ。はじめの世界ひらけるぞ。 神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる、掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。 マコトでもって洗濯すれば霊化される。 半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん。 今のやり方ではどうにもならなくなるぞ。 今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ。 灰になる肉体であってはならん。 原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ。 今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。 岩戸ひらきとはこのことであるぞ。 少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ。 神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ。金は要らぬのざぞ。 お土からあがりたものが光りて来るのざぞ。 衣類、食べ物、家倉まで変わるのざぞ。 草木も喜ぶ政治と申してあろうがな。 誰でもそれぞれに先の判るようになるのぞ。 お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶のようになるのぞ。 悪はどこにも隠れること出来ん様になるのぞ。 博打、しょうぎは無く致すぞ。 雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきように吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地に満ち満ちて、うれしうれしの世となるのざぞ。 |