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究極の教育方法
今、あなたが覚えている記憶は、重要な部分をダイジェストとして神が残してくれている記憶で、その部分こそが、あなたが現世でやるべきことの集大成であり、あなたはまだ無限の記憶を処理できるまでに成長していないから、神が整理整頓して分かりやすくしてくれている。

気付いてみれば言いえて妙、そこに焦点を定めれば解への近道となる。

神の教育は難解であり、「知らず知らずの内に出来るようになっていた」という方法で成功へと導くのが理想的な教育なのであって、これこそが究極の極意なのだ。
1つのことに2つ以上の意味付けを行ったり、言ってもダメなケースでは因果応報によって立場を逆にしたりして、植物1つとっても「愛情を持って大切に育てると発育が良くなる」「バランス良く植林すると土砂崩れや砂漠化や大気汚染などを防いでくれて自然環境が良くなる」「光合成によって二酸化炭素を吸収して酸素に変換してくれて空気を正常に戻してくれる」という風に沢山の要素が凝縮されているし、他者に対して抱いた悪感情は、いずれ、姿形を変えて自分へとはね返ってくるように運命の組み立てが行われていて、ちゃんと更生するまでは苦しみから逃れられないようになっているのだ。

教育者の立場になってみれば分かると思うけど、子を持つ親の立場になってみれば分かると思うけど、「もっと勉強しなさい」「ちゃんと立派な人間になりなさい」と口うるさく言うとかえって反発をまねいてしまうケースもあるし、聖職者である教師の子供がグレて不良になっているケースも多いし、教育とは、とても難しいものなのだ。
両親が仲たがいしている方が仲をとりもとうとして賢く良い子に育つケースもあるし、親を反面教師として間違いに気付けるケースもあるし、障害者がいるケースでは教育方針をガラリと変えなければいけないし、いずれにせよ、子供の魂に足りない部分を気付かせる形になってさえいればいい。
とにもかくにも子供の視点に立って考えることが大切なのだ。

さりげなく手助けするのが、高等テクニック。
親の背中を見て子は育つ。
文句を言うだけなら小学生にだってできる。
神が手本を見せてくれているのだから、それを真似すればいい。
ずっと温かく見守り続けて、子供に必要なものを見つけ出してあげて、必要となった時にさりげなく知識や物や環境を与えてあげればいいのだ。
この世では、苦しみも気付きを得られる原動力となっている。
子供に足りない部分を見つけたら、それを解消するために、最適な苦しみを与えてあげることも大切なことなのだ。

過保護と無関心は、いけない。
同じ黙っているのでも「ここで手助けしてしまうと子供の成長のために良くないから我慢してあえて助けずに黙っている」のと「ギャンブルや酒や女のことばかり考えていて子育てを放ったらかしにして黙っている」のとでは大違いなのだ。
子供は敏感にこの違いを感じ取る。
自分の子供なのだから、自分の子供ぐらいは、ちゃんと教育できる準備を行ってから子供を生まなければいけない。
「気持ちいいから、後先のことなんか考えずにブタみたいにセックスしてたら子供が出来ちゃった。なんか邪魔くさいけど出来ちゃったんだからしょうがない。金だけ与えて子育ては他人任せにして、ゆくゆくは離婚して、オレはまた別の若い女でも探してセックス三昧な人生をエンジョイするかな」では、ダメなのだ。
これは子供の気持ちを全く考えていないし、こんな人間が複数の妻をめとったとしても、反省もせずに同じことを繰り返すだけで、ハーレム気取りで多くの美人妻を並べて自慢したいだけの、子1人育てる能力がないくせにセックスだけをやりまくりたがるだけの自己中で無責任な親となるのは一目瞭然だ。

これは親ではなく、ただのブタなのだ。

神の子に対する接し方と見比べてみれば違いは明白で、何事も自分の利益を中心にして考えているから、妻や子は自分に奉仕させる奴隷ぐらいにしか思っていない。
偉そうにしてるから何を言い始めるのかと聞いていると、悪口や自慢話や恩着せがましいセリフばかり吐き出して、肝心の子育てに有効な言葉は何1つとして出てこない。
神の言葉に逆らって生きてきた者の口から出るのは、汚らしく醜い的外れな言葉のオンパレード。

こんな人間になってはいけない。

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