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魂の卒業試験 |
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「最も健康的な状態と若さを保てない」なんてのも、おかしな話だ。 若者と老人では同じものを食べても健康や肌のツヤに差が出て、同じだけ運動しても同じだけの結果を得られない今の設定の方が、異常なのだ。 老いたら、わざと報われないようにしてある。 弱者の気持ちを思い知らせるために、そういう設定になっているのだ。 この世には未来に用意されている大きな快楽の縮小版が存在しているだけで、極上の宝物は隠された状態で存在していて、今の人間の体では絶対に見つけることが出来ず、神の御心に従って成長できた魂のみに与えられるようになっている。 永遠の命と若さと美貌、それは、この世にはない。 魂の卒業試験をクリアして、はじめて神から与えられるものなのだ。 小さな快楽のために道を踏み外した人間は、大きな快楽を失うことになる。 自分の将来のためにも、理性を育てておくのが非常に重要なこと。 そのためにまず率先してやるべきことは、自分の心の中に住む悪魔退治。 悪魔は天使の逆のことを言っているだけで、「悪魔の誘惑」の逆を考えてみると正しき道が見えてきて、それこそが人間の本来あるべき姿なのだ。 選択を誤ってはいけない。 「悪魔の誘惑」は、拒否するために存在しているのだ。 拒否できなかった者のために、そのことを反省させるために、病原ウィルスやガン細胞や悪玉菌は存在しているのであって、自分の体内に住む悪が、自分に対してどのような影響を与えるかを身をもって分からせるために、わざと残してある。 神がその気になれば、これらは全て消え去るし、人間の体を放射能の中でも平気で生きられる体にすることだって可能なのだ。 でも、それでは、反省の機会が減ってしまう。 だから、そういう世界には、なっていないのだ。 自分の体内にいる悪に対しては退治するのに必死になるくせに、自分が悪になることを平気で許しているようでは、ダメなのだ。 人々の心から悪が消え去れば、体内の悪も消え去る。 真の平和と自由は、自分達の手で勝ち取るものなのだ。 悪は、悪で、時が来たら、滅びなければいけない。 それが、さだめ、というものなのだ。 滅びの美学。 悪は、滅びるからこそ、美しい。 映画やマンガのストーリーが悪を倒してハッピーエンドで終わるのは、心の中の神がそうさせているからなのだ。 最後は、正義が勝ち、愛が勝ち、ハッピーエンドで終わる。 みんな、心の奥底では、これを、待ち望んでいるのだ。 この世の全ては、神の設定次第で激変する。 自分に無害なものと有害なものの存在は、人間に無毒なネギが猫に有毒である事実に深い意味がないのと同じで、ただ「神がそのような設定にした」というだけの話なのであって、あなたが神となれば、これらを自由自在に変更できるようになる。 そこまで行かなくても、より神に近づいた世界へと辿り着いたならば、ある程度、変更する自由を許可された夢みたいな世界に住めるようになるのだ。 老いや病気やケガなんてのは「ないのが当たり前」。 あることの方が異常なのに、あるのが当然と思い込みながら、そういう風に錯覚させられた状態で人間は生きている。 終末は、もう、間近なのだから、今現在の人間と神の中間の存在である「神人」となる心の準備を進めて、今よりも断然思ったことが実現しやすくなる世界である「天国」に住むにふさわしい品格を身に付けるように努力していかなければいけない。 上の世界の方が、もちろん、楽しい世界に決まってる。 いつまでも古臭い体質の人間にこだわる必要はない。 でっかい夢を持ってトキメキとドキドキを忘れずに生きていけばいいのだ。 |