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本物の教育
正と邪。
邪になって、はじめて気付けることが沢山ある。
不規則な生活で健康を害することで規則正しい生活の正しさを再認識できるようになるし、太ってみないと、どれがダイエットに効果があるのかが分からない。
いつの世も、真に有効なアドバイスを生み出しているのは、邪の立場から解決方法を模索している人達なのだ。

邪を経験しなければ、何が正なのかが分からない。
神の言葉の正しさは、波乱万丈な人生を送った人ほど理解できるようになる。
理解できないならば、経験が足りないのだ。
分かっているようで分かっていない人間は、文字を読んで記憶しているだけで、役に立つ場面に遭遇するまでは宝の持ち腐れとなっている。
本当に理解できるようになるためには、実体験が不可欠なのだ。
経験が伴って、はじめて神の真意が分かるようになる。
「自分だけじゃなく全体的なバランスを考えなさい」という神の言葉が聞こえてくるようになる。
何事も、バランスが大切なのだ。
自然環境のことを考えすぎると何も出来なくなってしまって文明が停滞するし、考えなさすぎると汚染が進んで人間が住めない環境になってしまう。
これは神の本意ではない。
文明を進化させつつ、なお、環境のことも考えて、開発技術とエコ技術を並行して進めていくのが望ましいのだ。

何事も「中道」が、いい。
そもそも、人間の体からして、そのように作られているのだ。
やらなすぎれば病気になり、やりすぎればケガをする。
絶え間ない努力を続けて超人となっている人は別だけど、生まれつき強靭な体を持っている人は別だけど、夢や希望や感動を与えたいために無理を承知でやっている人は別だけど、それ以外の人は無理をせずに適度な運動を続けるのが理想的なのだ。
人間、命をかけてでも戦わなければいけない時もある。
そんな時は、例外だ。
いずれにせよ、まず健康管理の基礎を身に付けてからの話で、段階を踏んで徐々にレベルを上げていく必要があるし、自分の限界を知って無理をしない勇気も大切なのだ。
他人にできることの全てを、自分もできる訳ではない。
自分を知って、自分の出来る範囲内でいいから、自分なりに考えて最善を尽くして頑張っていけばいいのだ。

根性論ばかり言う人間は、弱者を平気で切り捨てるから気に入らない。
努力と根性も大切だけど、その前に、まず、自分を知ることが最重要事項なのであって、人それぞれ生まれ持った「課題」「好き嫌い」「得手不得手」「性格」「能力」が異なるし、悩みの解決方法も体質や運命によって変わってくるし、神から何を期待されて生まれてきたのかが違うのだから「みんなに同じことを押し付ける」教育は間違っているのだ。

相手によって柔軟に対応するのが、本物の教育。
アドバイスされた側も、アドバイスが間違っていると感じたならば「違うものは違う」と断固拒否する勇気も必要だ。
どんなに偉い人であっても100%正しいことを言う訳ではない。
体が違うのだから、同じ作業をしていても他人の体験と自分の体験では微妙にズレが生じているから、有効なアドバイスも人によって異なってくるのだ。

全ては「相性」であり、「相性が良いものを見つける」のが問題解決への最短ルートとなっていて、相性が悪いものを追いかけ続けても失敗するだけだし、相性が良いものを見つけると一瞬で解決することが多々ある。
他人の意見は参考程度にして「自分の力で見つける」のが大切で、自分で解決するためにこの世に生まれてきたのだから、他人に解決してもらったら貴重な体験を損する形になって進化が遅れてしまう。
楽してトクは得られないのだ。
それでは生まれてきた意味がない。
ズルして手に入れた宝には何の価値もないし、頑張りすぎたら壊れてしまうから、適度な努力を継続して大成させていくのが理想的なのだ。

人間、出来ないことは出来ない。
病気と違って障害は治るものではないし、「ない」ものは「ない」のだからあきらめるしか方法はないし、これは、死ぬまで変わらない。
「ある」ものの中で、最善を尽くして生きていけばいいのだ。
神は、ちゃんと分かってくれている。
頑張った分だけ、ちゃんと評価してくれている。
自分なりに頑張っていけばいいのだ。
他人と見比べて劣等感ばかり感じていると、やる気がなくなってしまうからいけない。
「努力だけでは超えられない壁」というのが存在しているし、凡才がいくら努力しても、努力し続ける天才には、かなわない。
これは、どうしようもない事実なのだ。
何かしらの理由があって神によって分けられているのだから、自分は自分なりに全力投球して頑張っていけばいいのだ。

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