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世界の作り手
常識ある大人ならば「体を変身させて空を飛べる世界があるんだよ」なんて、恥ずかしくって、とてもじゃないけど言えない。
しかし、私は、言える。
なぜなら、体は大人だけど、頭の中は子供だからだ。
ようこそ、ワンダーランドへ。
サンタクロースはいないけど、神は、いる。
人間が作り上げた空想的な存在ではなく、実在する御方なのだ。
本物の神に導かれて行く所は、本物の天国。
本物の預言者である私が、夢みたいな世界へと、ご案内いたしましょう。

あなたは、夢の中で、クイズをやったことは、ありませんか?
あなたが考える側で、クイズを出す側の相手がいる。
私は、ある。
相手は「自分が知らない答え」を知っていて、夢で見ている映像の中には今まで自分が一度も見たことがない風景が含まれていて、そして、自分の画力では、とてもじゃないけど描き出せないレベルの絵が交じっている。
すなわち、これは、「夢は自分が作り出した世界ではない」ということを意味するのだ。
じゃあ、誰が作ったのかというと、神、もしくは、あなたの教育係を担当する者が、あなたに何かを気付かせるために映像化した夢なのだ。
「この世」「あの世」「夢の中」、教育方針を切り替えているだけで、いずれも、神の支配下にある世界。
感じられるもの全てが「神を経由してから」実現しているのだ。
視神経がなくなれば見えなくなり、聴神経がなくなれば聞こえなくなり、神経という「神との伝達経路」がなくなると世界から遮断されることになる。
この世には「物質がある」というよりも「映像と音声と(その他複数の)感覚の組み合わせがある」のであって、あなたは、神が作り出した映像を見て、神が作り出した音声を聞いて、そして、神から貸し与えられている体を操縦しているだけの存在で、自分の体なのに「教科書を読まないと構造が分からない」というおかしな生き物なのだ。
自分の脳は自分の過去を鮮明に覚えているのに、なかなか自分に記憶を引き渡してくれない。
自分の脳は自分の体内の構造を知り尽くしているのに、自分に教えてくれない。
医者に聞くよりも、自分の脳に聞く方が、よっぽど早く問題を解決できるはずなのに、なぜか、教えてくれない。
今の人間は「主人である自分の言うことをすんなりと聞き入れてくれない使い勝手の悪い脳を仕方なく使って」生きている状態なのだ。
それに対して「制限が加えられていない存在」である神の場合は、もちろん、自分の脳に簡単にアクセスできて、自分の体内の構造をはっきりと認識できるし、自分の記憶を完璧に引き出すことも可能で、人間とは全く違う、爽快で快適な動作環境を満喫できている。
この世は、あなたの思考を受け取った神が代行して実現している世界なのであって、存在しているものの全ては神の一部分、模倣であり、人間に出来ることは神にも出来るし、コンピューターに出来ることも神には可能なことであり、そのスペックは、なんと、「無限」なのだ。
神に出来て人間に出来ないことがあっても、人間に出来て神に出来ないことはない。
宇宙を丸ごと体現している神なのだから、スロー再生、早送り予知、巻き戻し修正、何でも自由にやりたい放題で、宇宙内の全生物を仮死状態(冬眠と似たような状態)にして時間を一時停止して、じっくりと世界をつくり変えることだって可能なのだ。
このことに対するヒントは、プロ野球選手が絶好調時にたまに体験する「ピッチャーが投げた球が止まって見える」という現象だ。
この時、実際に、バッター以外の空間はスローモーションになっているのだ。
技を極めた達人は、少しだけ神の能力を体験できるようになる。
そして、空間の支配者である神ならば、常時、この現象を起こすことが可能、ということなのだ。
神は「宇宙内の全生物に全く気付かれることなく」山を動かすことが出来る。
全生物を仮死状態にして山を動かして、その後、動いた理由がないとおかしな話になってしまうから、さりげなく山が動いた痕跡を残しておく。
すると、人間達は「多分、地殻変動で山は動いたのだろう」と言い始める。
理由は、後付け。
この神の手法に気付いた時、過去の大変動期において、どのようにして人間達に気付かれることなく大胆に世界を作り変えることが出来たのかを、理解できるようになることでしょう。
支配下である宇宙において、神は、絶対的な存在なのだ。
もちろん、全生物の過去の記憶も自由に閲覧可能で、現存する様々な素材の完成形をも考え尽くしている存在だから、知識において、有限の存在である人間が、無限の存在である神に対して意見できることは、何1つとして、ない。
今の人間がやっていることは、神からしたら、とうの昔に習得済みのことばかりで、全てにおいて人間は教わる立場なのだ。
そして、「借り物の体だから人間は自分の体を自由に変更できない」ということになる。
卵子1つから自分の体を作ったのだから、病気やケガをして損失した部分は、自分で作り直せるのが当たり前。
死ぬ直前に走馬灯を見て自分の過去を鮮明に思い出せるのだから、暗記テストの時に走馬灯を見て、みんなが100点を取れるのが当たり前。
苦しみは「ない」のが自然で、「ある」ことの方が不自然なのであって、記憶力や命というのは「無限」であるのが正常で、「有限」であることの方が異常なのだ。
そもそもからして、自分の体なのに「自分で作り直せない」「自分で調整できない」「自分で選択できない」のは、どう考えてもおかしい。
視力が落ちたならば、目という映像装置を自分で調整して正常に戻せばいいだけの話で、脂肪を蓄えすぎて太って活動に支障が出てきたならば、原因が分かっているのだから蓄える量を自分で減らせばいいだけの話だ。
運動しなければ不健康になり、食事の量を制限しなければ体形を維持できなくて、頭を使い続けなければ思考力が衰えていってしまう。
これら人間に与えられている「苦しみ」というのは、魂の成長に必要だから、神が「ペナルティー」として課しているものなのだ。
病院に行って医者からレントゲンを見せられて「へぇ〜、自分の体ってこんな風になってたんだ〜」と矛盾する冗談みたいなセリフを真顔で吐き、「先生、一体、自分の体のどこが悪いんでしょう?」とまるで他人の体みたいに言っている時点で、あなたはあなたの体の作り手ではないのだ。
自分で自分の体を作ったのならば、「鳥になりたい」と思ったら、次の日、鳥となって空を飛べているのが、ごく普通の自然な流れなのであって、「サナギからかえって醜い姿のイモムシから美しい姿の成虫になる」チョウチョには出来ていることなのだから、人間だって、整形手術なんかしなくても自分が望む姿へと生まれ変われるのが、ごくごく当たり前のことなのだ。
これが出来ないことの方が、おかしい。
歯みがきをしないと虫歯になったり、栄養バランスが良い食事をしないと病気になったり、規則正しい生活をしないと体内時計が狂って体調が悪くなったりするのは「体を管理することの難しさ」を学んでいるのであって、掃除もせずに自分の部屋を放ったらかしにしているとホコリだらけになるのは「自分の身の回りぐらいキチンとしなさい」ということなのであって、勉強やテレビゲームばかりしていると目が疲れたり近視になったりするのは「同じ所ばかり見ていないで、たまには外に出て運動をしたり自然を観察したりして、もっと広い視野で世界を見なさい」ということなのだ。
そして、今のルールでは「努力した分だけ報いる」という設定になっていて、勉強すればするだけ賢くなれるし、運動すればするだけ筋肉が付いてたくましくなれる。
植物に肥料を与えてあげたり、添え木をしてあげたり、音楽を聞かせてあげたりすると発育が良くなるのは「愛と努力と工夫が大切なんだよ」と神が教えてくれているのだ。
そして、人間以外の動物は「みんな同じような顔」をしているのに、人間だけが「違う顔」をしているのは「個性を大切にしなさい」ということなのだ。

これらは、周りにいる人々みんなが自由に変更できない体だったからこそ、努力した分だけ報われる設定になっていたからこそ、身をもって体験できた貴重な経験なのであって、苦労して手に入れたものであるからこそ、自分にとって価値がある宝物となりえるのだ。
学校の部活動で培った根性は、そのまま、その後の仕事にも役立つ。
努力と根性さえ身に付ければ、どんどんと新しいことへと挑んでいけるチャレンジ精神が芽生えるし、環境が変わっても、ちょっとやそっとの苦難なら立ち向かっていけるようになる。
これが、大切。
自分で自分に足りないものを見つけ出して自分で補い、自分でやるべきことを取捨選択し、自力で解決できるだけの能力を育て上げ、自分の手で自分を成長させていく。
この世は、そのための舞台なのだ。
神が用意してくれた舞台をどう活用するか、どう生きるかは、あなた次第。
頑張った分だけ、死後に、神は報いてくれる。
過去の預言者たちによって、これらは、ちゃんと伝えてある。
これだけ文明が発達した今、もはや、信じる信じないのレベルの話ではないのだ。
私が書いていることは「知ってしまうと教育にならない」内容が多いから、子供には知らせない方がいいかもしれないし、ある程度、人生経験を積んだ人じゃないと、何が書かれているのかさっぱり分からない部分も多い。
でも、いつかは全人類に知ってもらいたい内容です。
目と耳がなくても「神とつながってさえいれば」見たり聞いたり出来るのだけど、この世では「目や耳や神経や脳に損傷が発生したら正常に作動しなくなる」という設定になっているから見たり聞いたり出来なくなったりすることがあるのだけど、死後にはちゃんと復活して、見たり聞いたり出来るようになるはずだ。
一生を共にする無二の体だからこそ、乳歯から永久歯へと一度しか生え変わらない歯だからこそ、人間は、毎日毎日、お肌のお手入れや歯みがきをして大切に扱おうとする。
そして、老いてヨボヨボのシワクチャになり、健康と美を失ってから死んでいくことで、次、生まれてきた時に、より健康と若さの有難さを実感できるようになる。
そして、最終的には、「永遠の命」を与えられて最高の喜びをともなって光り輝く存在となり、「神々の世界」へと旅立つことになるのだ。
甘やかすだけが愛ではなく、時に、神は、「かわいい子には旅をさせよ」的な愛でもって人間に接することがある。
恐かったり痛かったりすることが世の中にたくさん存在しているのは、そのためなのだ。
「失敗したらケガをして大失敗をしたら死ぬ」という恐怖感があるからこそ、緊迫感が生まれ、感性がとぎすまされ、技を「達人の域」へと急速に引き上げてくれる原動力となりえる。
「何度も何度も失敗をして回避方法を体にしみ込ませた」その経験が、後の大きな成功へとつながるのだ。
この世は、子を想う親の視点で作られている。
神の愛は「人生一度きりで終わり」という考え方では理解できず、「体を変更して何度も何度も命に限りある一生を送り続ける」という永遠の視点で考えると理解できるようになる。
今現在、高度な体である「人間の体」を使いこなせているあなたは、前世までに何度も何度も違う体に生まれ変わって練習したからこそ、生まれてすぐ、抵抗なく複雑な構造である人間の体を難なく扱える存在になりえているのだ。
そして、ちゃんと魂に神の教えを浸透させることが出来ているかどうかをテストするために、前世までの記憶を神に預けて記憶喪失の状態で生まれてくる。
前世までで身に付けた能力は、神が封印を施さない限り、そのまま継続して現世にも持ち込まれる。
音楽の才能ある者は、生まれた時に、すでに、才能がある。
現世で1から学び始めた人間とは、スタートラインからして、違っているのだ。
「前世までの記憶は神に預けて忘れてしまっているのだけど体で覚えている」ということ。
特別なケースでは、現世で運命的な難しい課題をクリアするための手助けとして特殊な能力が神から与えられることもあるけど、だいたいは、前世までに自分が努力して身に付けた能力。
自分の魂に付いている良いクセも悪いクセも、現世だけじゃなく前世までも含めて「自分で」付けたクセなのだ。
「天使の言葉」と「悪魔の言葉」を聞いて、自分の魂がどんな反応を示すかで、どんなクセが自分に付いているかが分かる。
ただし、難しい課題を神から与えられて、障害や病気やケガなどで一時的に消失している感情や感受性は、死後に復活して「本当は良い魂であった」となる場合もある。
また、大偉業を達成させるために、厳しい競争社会を勝ち抜いて社会的地位を得てからの活躍を期待されているがために、良い人すぎて途中でクジけてしまうといけないから、あえて神が封印を施して「心がない」状態で生まれてきたけど、封印が解かれると、実は、良い魂であった、というケースもありえるのだ。

「人間を中心にして」考えるから真実が見えなくなるのであって、「神を中心にして」考えれば、全ての真実が見えてくる。
細かなミスは除いて、大まかな流れにおいて、私が導き出した結論に間違いはない。
真実は1つであり、世界中の科学者達が束になってかかってきても覆せない「未来永劫に変わらない絶対不変の真理」なのだ。
科学を追及していくと「こういう法則になっていることが分かったけど、なぜ、こういう法則になっているのかは分からない」という結論に達する。
これは当たり前の話で「数学的な法則」は除いて「人間的な法則」というのは、神の「美しいから」「こんなものが存在したら面白いな」「どうしたら子供の魂を成長させてあげられるだろう」という発想から生まれたものなのであって、時が来たら変更される法則なのだから、ある程度までの知識は必要だけど、それ以上に深追いしても、あまり意味がないことなのだ。
「遺伝的に父親似か母親似の顔になりやすい」とか「マグロは海にしか住めない」とか「春に桜が花開く」とかは、あなたが神の立場となったら自由に変更できる「作り手に依存している」法則なのだ。

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