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三千世界の大道 |
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今から、はるか昔の話。 時は紀元前5世紀頃、仏教の開祖である釈迦は、北インド(現ネパール)の釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家して35歳で悟りを開いて仏陀となった。 本名はゴータマ・シッダールタで、ゴータマは「最上の牛」、シッダールタは「目的を達したもの」という意味で、生まれた時に右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と話したと伝えられている。 出家後に6年間の苦行をしたが、断食などによる苦行だけでは悟りは得られないと分かって苦行をやめ、ネーランジャラー河の岸辺で村娘スジャータが作ってくれた牛乳がゆを食べて体力を回復させた。 ブッダガヤの菩提樹の下で座禅して瞑想に入り、あらゆる悪魔の誘惑をことごとく退けると、世は「無常」、変化するという事実を認めない「無知」が「迷い」を生み、「迷い」が「欲望」を生み、「欲望」が「執着」を生み、「執着」が「苦しみ」を生む、そして、両極端に走らない「中道」が大切なのだと気づき、ついに35歳で悟りにいたった。 さらに、さらに昔の話。 時は紀元前13世紀頃、旧約聖書の出エジプト記20章と申命記5章に登場する預言者であるモーセは、エジプトで迫害されて奴隷扱いされていたイスラエル人を救出し、シナイ山で神から律法を授かった。 有名なのが、以下に紹介する10の戒律を石板に記した十戒だ。 1. 主が唯一の神である 2. あなたは偶像を作ってはならない、それらを崇拝してはならない 3. 神の名をみだりに唱えてはならない 4. 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ 5. あなたの父母を敬え 6. 殺人をしてはならない 7. 姦淫をしてはならない 8. 盗んではならない 9. あなたの隣人に対して偽りの証言をしてはならない 10. あなたの隣人の家や妻を欲してはならない モーセは律法によって12部族の統制を果たし、7世紀頃に起こったイスラム教においても、ノア、アブラハム、イエス、ムハンマドと並び称されて5大預言者の1人とされている。 後世においても、旧約聖書を読む人にとって、モーセは、英雄的な存在なのだ。 さて、各宗教の教訓を読んだことがある人なら、少なからず感づいているだろうけど、どの宗教においても、細かすぎる教訓は、あまり意味をなしていないものが多い。 イスラム教のラマダーンという月に行う断食は、1ヶ月の間、日の出から日没まで飲食を絶つことで「苦しんでいる人の気持ちを理解する」という意味で功をなしているけど、それ以外の教訓で「これは、一体、何の意味があるのだろう?」とクエスチョンマークが付くものが多々ある。 釈迦の「世は無常」という言葉通り、時代に合わなくて意味を成さなくなった教訓は、時代の流れに合わせて修正していった方がいいと思う。 また、「言葉足らず」の教訓も、多い。 「あなたの父母を敬え」という話以前に「尊敬に値する両親なのか」という部分が重要なのであって、「同性愛は良いか悪いか」という話以前に「どのように愛したのか」という部分が重要なのであって、「自殺はしてもいいのか」という話以前に「死ぬまでに何をしたのか」という部分が最も重要なことなのだ。 この部分を考慮しないと、滅茶苦茶な話になってしまう。 毎日毎日、酒に溺れて自分勝手な理由で暴力を振るい続け、不倫している女を平気で家に連れ込んだりする父親に対して「尊敬しろ」と言われても無理な話だし、正常に異性に欲情する人間であっても、暴力や権力で無理やり付き合わせていたり、愛もなしに醜い欲望だけでくっついているカップルならば、心と心でつながって愛し合っている同性愛カップルの方が良好に見える。 神の教えに逆らいまくって自殺しなかった悪人と、神の教えのために戦って最後に部下や民衆の命を守るためにトップの責任を取って自害して果てた善人とでは、どう考えても、後者の方が、神から高く評価されるに決まってる。 「心の中でどう思っていたのか」が大切なのだ。 「殺人をしてはならない」という教訓も、「一般市民を守る立場」にある警察官や自衛官やスパイなどのケースでは、正当防衛として、市民を守るために武力行使をする必要性は、どうしても出てくる。 ケース・バイ・ケース。 自分が置かれている立場によって、守るべき教訓も変化するのだ。 行為に愛が伴っているかどうかが大切で、ただ単に自分の醜い欲望を満たしたいがためにやっているのと、愛情でやっているのでは、神からの評価は全く異なる。 現在の自分と過去の自分を見比べて「何が自分を成長させてくれたのか」を考えてみれば、本当の愛に気付けるはずだ。 後の成功のために、あえてハングリーな経験をさせてあげる、というのも1つの愛。 ハングリー精神が自分のピンチを何度も救ってくれる原動力になりえるし、ハングリー精神がない人間は、ちょっとしたトラブルですぐにクジけてしまうケースが多い。 修羅場をくぐり抜けてどん底からはい上がった人間ほど度胸が付いて、こういった人間こそが、全世界をも震撼させる大偉業を成し遂げちゃったりするのだ。 貧困の家庭においては助け合いの精神が芽生えるし、家族愛が生まれやすいし、魂の成熟度によっては、貧困を経験することが良き経験となりえることもある。 弱者を見て平気ですぐに切り捨ててしまうような未熟な魂には、こういった苦しみの経験が必要不可欠なのだ。 老人に対してすぐに「邪魔くさい」と感じてしまう者は、自分が老人となって、言われる側の苦しみを十分に経験しておく必要がある。 とにもかくにも「弱者を思いやる気持ち」が大切なのだ。 ずっと裕福だった人間よりも、貧困を経験してから裕福な生活へと移行した人間の方が、より幸せを実感できるようにもなる。 ちゃんと成長できた魂は、苦しみから解き放たれて、苦しみがない世界である天国へと旅立っていくことになる。 今、あなたの目前に広がっている世界は教育用のプログラム、一通りの教育を終えたら役目を終えて消え去り、新たな世界へと生まれ変わるのだ。 魂が神に近づけば神に近い体を与えられ、魂が神から遠ざかれば神から離れた体を与えられる。 今、あなたが感じている見て聞いて食べる楽しみ、男女間の肉体と心のつながりによって得られる快感というのは、神とつながっているからこそ感じられるのであって、神から遠く離れた世界には存在しないものなのだ。 そして、これから、テストに合格した者には、さらに神に近づいた、さらに快楽と快感を追加された体を神から与えられることになる。 これが太古の昔、「この宇宙」が誕生する前から存在している「魂が歩む道」なのであって、終末を乗り越えてビッグバン級の宇宙大改造が行われた後の世界では、新たな素材が用意されて、新たなテストが始まる。 今の人間がやっていることと神がやっていることを見比べてみれば分かるように、まだまだ先は長いのだ。 |