年度代表馬
牡馬 黒鹿毛 10戦7勝(海外含む) NHKマイルカップ ジャパンカップ サンクール大賞(仏) |
デビュー戦、条件戦楽勝の後、降雪のためにダート戦となった共同通信杯4歳ステークスをまた楽勝。 あまりのダートの強さからダート馬と思われていましたが続く芝のニュージーランドトロフィー4歳Sを勝ち、グラスワンダーが休養中のため本命不在だったNHKマイルの大本命になりここも勝ち4戦4勝の無敗でG1ウィナーになりました。 秋初戦は毎日王冠。 ここには連戦連勝中の脅威の逃げ馬サイレンススズカ、骨折明けの昨年の3歳チャンピオンのグラスワンダーと強豪が集まりました。 グラスワンダーとエルコンドルパサーの両馬の主戦騎手だった的場はグラスワンダーを選択。それにより騎手は蛯名に変わりました。 レースの結果はやはりサイレンススズカが強くエルコンドルパサーは影も踏むことができずに2着、グラスは着外に敗れました。 続くジャパンカップでは血統的に短距離にむくこともあり距離不安がささやかれましたがエアグルーヴ、スペシャルウィークをおさえみごと優勝。 翌年は外国産馬の為出走できるレースが限られると言うこともありフランスへ遠征。 初戦こそ2着に敗れましたが続くG1のサンクール大賞、G2のフォワ賞を連勝して凱旋門賞へ。 レースではスタートよく飛び出し馬群の先頭を走り4コーナーでスパート。 誰もが勝った!!っと思った瞬間馬群中段に控えていたモンジュが末脚爆発させて差しきった所がゴールだった。 2着だったとはいえエルコンドルパサーの実力を世界中にみせつけたレースでした。 |
牝馬 鹿毛 19戦9勝 オークス 天皇賞秋 |
オークス馬ダイナカールの娘という良血で注目を集め新馬2戦目で勝ちあがると続くいちょうSも楽勝。 しかし続く3歳牝馬チャンピオン決定戦の阪神3歳牝馬Sではビワハイジに逃げ切られ2着。 しかし休養明け初戦の桜花賞トライアルのチューリップ賞ではそのビワハイジに5馬身差をつけて楽勝しました。 これで桜花賞は大本命となるはずでしたが、熱発のため桜花賞は回避。 しかし熱発明けのオークスでは桜花賞馬のファイトガリバー以下を退けてみごと母娘2代オークス制覇をなしとげました。 秋はぶっつけで秋華賞にのぞみましたが10着と大敗し、その後骨折していたことが判明して翌年の6月まで休養にはいりました。 休養明け初戦のマーメイドS,2戦目の札幌記念と楽勝して迎えた天皇賞秋。 直線で昨年の覇者バブルガムフェローとびっしり追い比べをして見事 牝馬としては19年ぶり、2000mに短縮して初の牝馬の天皇賞馬になりました。 翌年も現役を続けサイレンススズカ、エルコンドルパサー、グラスワンダーなど歴史に名を残すような馬たちを相手に善戦しましたが3つ目のG1を勝利する事はできませんでした。 しかしエアグルーブも史上最強の牝馬として歴史的に名を残すでしょう。 |
牡馬 栃栗毛 21戦9勝 天皇賞春 有馬記念 |
4歳春はナリタブライアンが三冠ロードをばく進する中7戦2勝、常に人気を背負いますが平凡な成績に終わりました。 夏は休んで秋になって復帰後も3、8、2、2、ともどかしいレースをしましたが、暮れに900万条件、1500万条件を連勝して望んだ年明け1発目の重賞 金杯で重賞初制覇!奥手の血統が開花しました。 勢いに乗ってG2の目黒記念に兆戦しますがここは2着。 しかしここで骨折して1年1ヶ月の休養にはいりました。 凡馬ならここで尻すぼみな成績のまま引退して行きますがサクラローレルは休養明け初戦の中山記念を最後方からブッコ抜き見事な復活をしました。 自走の天皇賞春ではナリタブライアン、マヤノトップガンと1ヶ月前の阪神大賞典で歴史的死闘を繰り広げた2頭のマッチレースになるだろうという下馬評を嘲笑うように中段よりナリタブライアンを差しきり晴れてG1ウィナーとなりました。 宝塚記念は使わずに秋初戦ではオールカマーを選びマヤノトップガンを子供扱いにして1着、この勝利で天皇賞秋の大本命に押されました。 距離適正、出走馬のレベルとどれを取ってもサクラローレルの天皇賞春、秋連覇は確実かと思われましたが、何が起こるのかわからないのが天皇賞秋! 4コーナから楽な手応えで直線をむきましたがここで前がつまり手痛いロス! 前が相手からよく伸びましたが4歳馬バブルガムフェローを捉えることができずに3着! この横山典の騎乗ミスに境調教師はぶち切れました。 しかし続く有馬記念では前がつまらずに見事勝利しました(笑) 翌年は天皇賞春の連覇を狙いましたが勝った!っと思った瞬間に最後方からマヤノトップガンが鬼脚で差しきり2着。 そして凱旋門賞を目指すべく渡仏。 ステップレースのフォア賞に出走しましたが8着に敗れ しかもレース中に骨折していることがわかりそのまま引退しました。 |
牡馬 栗毛 21戦8勝 菊花賞 有馬記念 宝塚記念 天皇賞春 |
4歳秋までに9戦3勝と並の馬でしたが神戸新聞杯、京都新聞杯と菊花賞トライアルを連続して2着して望んだ本番菊花賞では中段で待機して4コーナー先頭の横綱レースをしてG1勝ちをおさめました。 続く有馬記念ではスローペースのなか淡々と逃げをうち6番人気ながら見事に逃げきりました。年が明けて天皇賞春にむけてのステップレース阪神大賞典では復活してきた昨年の覇者ナリタブライアン相手に直線びっしり追い比べをしてアタマ差の2着、3着はそこから7馬身はなされていました。 本番の天皇賞春では再びマッチレースになると思われていましたがサクラローレルがナリタブライアンを2着に沈めて勝利、マヤノトップガンは5着に敗れました。 そのサクラローレル、ナリタブライアンのいない宝塚記念では負ける訳にはいかず2番手から直線抜け出しG13勝めをあげました。 秋まで休養して王者サクラローレルに立ち向かうべく同じステップレースのオールカマーに出走しましたがサクラローレルに軽くあしらわれて、しかも格下の馬にも敗れ4着。 本番では前が詰まってもがいていたサクラローレルは振り切りましたが4歳馬バブルガムフェローは捕らえきれずに2着となりました。 有馬記念では前がつまらなかった(しつこいか・・)サクラローレルにまったく相手にしてもらえずに7着に敗れました。 6歳になって昨年同様阪神大賞典を天皇賞春のステップレースに選び、後方よりひとまくりしてG1以外の重賞初勝利! 2番人気で天皇賞春に望みました。 16頭立てにレースで12番手をすすみ直線にはいってサクラローレルがマーベラスサンデーを振り切って勝利したと思った瞬間、田原騎手がGoサインを出すと弓ではじかれた矢のごとく伸びサクラローレルを見事差しきりました。 コロコロ負けたイメージが強かったためにイマイチ強かったイメージがなかったマヤノトップガンですが 逃げ、先行、差し、追い込みとまったく違った脚質でG1を4勝した名馬中の名馬でした。 |
牡馬 芦毛 16戦10勝 菊花賞 天皇賞春 宝塚記念 |
やたら顔が大きく、その顔だけが真っ白だったことからついたニックネームは八代亜紀!?だったビワハヤヒデは新馬、もみじS、デイリー杯3歳Sと鋭い末脚で3連勝し、しかもレコードが2回と完璧な成績で朝日杯3歳Sに乗り込みました。 鞍上の岸は同じく連勝していたエルウェーウィンと騎乗が重なりましたが当然クラッシック候補No1だったビワハヤヒデを選択。 しかし結果は皮肉な事に南井に乗り変わったエルウェーウィンが1着、ビワハヤヒデは2着となりました。 しかも年明け初戦の共同通信杯4歳Sで騎乗ミスにより2着と敗れた事によりビワハヤヒデの鞍上も岡部に乗り変わりました。 しかし若葉Sを楽勝した後の皐月賞では勝ったと思われた瞬間に武豊のナリタタイシンの末脚に屈し2着、ダービーでは柴田政人のウイニングチケットを差したと思った瞬間に差し返されてまたもや2着と勝ちきれないもどかしいレースを続けました。 夏を越えると大変身! 神戸新聞杯を楽勝して迎えた最後の1冠菊花賞では2着に5馬身差をつけてレコード勝ちしました。 もはや無敵と思われましたが1番人気の有馬記念ではトウカイテイオーの奇跡の復活の大駆けにあいまたもや2着でした。 しかし年が明けるとまさに無敵の快進撃をつづけ京都記念、阪神代行の天皇賞春、宝塚記念、オールカマーと重賞4連勝! 当然のように天皇賞秋では天皇賞春、秋連覇の期待がこめられて1番人気に推されましたが、レース中に屈腱炎を発症して5着に敗れました。 詰めの甘い所はありましたが故障した天皇賞秋を除くと15戦10勝 2着5回とほぼパーフェクトな成績をおさめていました。 |
牡馬 鹿毛 11戦3勝(公営14戦9勝) 天皇賞春 宝塚記念 有馬記念 |
公営大井でデビューより8連勝しましたして将来を有望されましたが5歳になってからは不振に陥り勝ちきれないレースを続けました が、地方版有馬記念の東京大賞典ではきっちり勝利して14戦9勝の成績をひっさげて6歳に中央デビューしました。 デビュー戦のすばるS, 阪神大賞典と小島太を背にいずれも2番人気に推されましたが4着、5着とやぶれました。 しかし武豊に乗り変わった大1番 天皇賞春では後方からじわじわ進み、4コーナーでひとまくりすると後は1人舞台! 2着以下に5馬身差をつけてレコード勝ちしました。 続く宝塚記念では積極的な先行策からフレッシュボイスの追い込みを押さえてG1 2連勝を果たしました。 そして伝説の秋を迎えます。 年齢的に同期の中央の雄タマモクロスはすでに引退していませんでしたが、1歳下の怪物オグリキャップ、 武豊のお手馬のスーパークリーク、さらに皐月賞馬ヤエノムテキ、未完の大器メジロアルダン、瞬発力ならどの馬よりも上のサッカーボーイなど史上最強世代といわれた馬達と戦いました。 中でもオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンは3強といわれ競馬を盛り上げました。 秋初戦の毎日王冠ではオグリキャップと直線びっしり追い比べをして2着、天皇賞ではスーパークリークの2着、ジャパンカップではホーリックスの世界レコードの前に11着に敗れましたが、有馬記念では武豊のスーパークリークがオグリキャップを競りつぶしてゴールに駆け込むところをゴール寸前できっちり差しきってG1 3勝目を納めると共に年度代表馬の座ももぎ取りました。 翌年も走りましたが5着、2着、4着とまずまずの成績を収めましたが結局勝利する事はありませんでした。 気性が悪かったために安定した成績を収めることはできませんでしたが、ここ1番という大レースではきっちりと勝利して中央での勝ち星はG1のみ3勝といった変わった記録をつくりました。 |
牡馬 芦毛 18戦9勝 天皇賞春 宝塚記念 天皇賞秋 |
年明けの遅いデビューで初勝利は3戦目、次の勝利にはさらに5戦かかりましたがそこから大変身。400万、400万特別を連勝して900万条件馬ながら格上の鳴尾記念に兆戦して6馬身差のレコード勝ち、有馬記念には目もくれず年明けの金杯(西)でも直線だけで最後方から差しきり勝ち、阪神大賞典では逃げるダイナカーペンターと同着で勝利して5連勝で天皇賞春へ。 ここでも後方から鋭い末脚で3馬身差で勝利、続く宝塚記念でも前年の天皇賞馬ニッポーテイオ―以下を完封して2馬身差で連勝を7へ伸ばしました。 秋はぶっつけで天皇賞秋へ。 そこにはオグリキャップが出走してきました。 オグリキャップはここまで地方からの連勝を14に伸ばしていて、中央の重賞も6連勝していました。 通常なら菊花賞に出走するところですがクラッシック登録がなかったので天皇賞秋に出走してきました。 人気はオグリキャップが1番人気、タマモクロスが2番人気となりましたが、後方からレースを進めるオグリキャップに対してタマモクロスは終始2番手の位置を進み、追い込んできたオグリキャップを1馬身封印して芦毛対決を制し、史上初 天皇賞春、秋連覇をなしとげました。 続くジャパンカップでは後方から進みペイザバトラーこそ捕らえる事ができませんでしたがオグリキャップには先着して2着となりました。 有馬記念では天皇賞とは逆に最後方から進んだタマモクロスに対して先行策をとったオグリキャップに軍配があがりこれまで2戦の借りを返された形になりました。 そして芦毛伝説はタマモクロスからオグリキャップに譲るような形になり、このレースを最後にタマモクロスは引退しました。 昭和最後のスーパーホースでした。 |
牡馬 鹿毛 13戦5勝 ダービー 有馬記念 |
父ノーザンテーストと似たような顔の半分が白い流星という大変変わった顔の持ち主ながら、日本最大の社台ファームと大種牡馬ノーザンテーストに初のダービー制覇をもたらしたのがこのダイナガリバーでした。 デビュー前よりそのバランスのとれた雄大な馬体から大器の呼び声が高く新馬戦こそ2着に敗れましたがその後未勝利戦、ひいらぎ賞、共同通信杯4歳Sと3連勝して2番人気で皐月賞に望みました。 しかし結果は惨敗の10着。 勝ったのは同じ社台ファームのダイナコスモス。 しかし3番人気で迎えた日本ダービーでは3番手より直線早めに先頭に立ち、そのままゴールまで押しきり見事1着でした。 当時の社台ファームの社長だった吉田善哉氏ははじめてのダービー制覇に感極まって人目もはばからず号泣しました。 しかし夏休養明けのセントライト記念ではレジェントテイオーの4着、次走の京都新聞杯でもタケノコマヨシの4着と敗れ、不安を抱えたまま菊花賞に望みました。 5番人気と人気こそ多少落していましたが、遅れてきたステイヤー・メジロデュレン(メジロマックイーンのお兄ちゃん)に続いて2着となりました。 そして調子を上げて迎えた大1番 有馬記念では4番手より抜け出して1着。 2着にギャロップダイナを連れてきて社台ファーム生産馬の1,2フィニッシュでした。 そしてこの勝利によって年度代表馬の座を見事に勝ち取りました。 |